玉野みなと芸術フェスタ2008 ~たまの東街道~ の催しの一つとしている 「山田・東児地区イキイキ写真コンテスト」では、山田・東児地区のイキイキした姿の写真を募集しています。
イキイキ写真撮影会を下記の通り開催することが決まりました。皆様、奮って参加されますようご案内いたします。
― 記 ―
1.東児地区での撮影会
・集合日時:10月12日(日)16:00~
・集合場所:胸上漁業組合
・八幡神社の神輿、だんじり、奴行列など、
勇壮なお祭りが見られるそうです。
・お祭りは、朝から夜まで行われ、18時~20時がピークになるとのことです。
2.山田地区での撮影会
・集合日時:10月19日(日)11:30~
・集合場所:しおさい中庭
・当日12:00~、おたび所にて白石&原地区の獅子舞が行われます。
・尚、上記時間帯以外にも、朝7:30~、原&上山田地区が水守神社の下で、
夜19:30~、白石&上山田地区の獅子舞が公会堂で行われる予定です。
何れの撮影会でも集合された時、祭りの概要・注意事項等の説明を行います。
終了は流れ解散とします。撮影が済まれたら、各自自由にお帰り下さい。
岡部広報部会長殿
上記内容を芸フェス2008のHPにアップして頂きたく、宜しくお願いします。
以上
2008年10月5日日曜日
2008年3月8日土曜日
山田東野崎塩田関係の写真が山陽新聞の記事に!
玉野みなと芸術フェスタ2007で製作した山田東野崎塩田関係の写真5枚のポストカードの記事が平成20年3月8日(土)山陽新聞朝刊の岡山県版に掲載されました。
フェスタの終了した後、関係者の努力で玉野市観光協会と交渉し、ポストカードを販売していただくことになりました。現在玉野市観光協会の入り口左に掲示していただいています。
Read this doc on Scribd: しおさいポストカード |
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詳しくはこちらから |
2008年2月29日金曜日
玉野みなと芸術フェスタが山陽新聞に!
2月29日(金)山陽新聞玉野圏版の「連絡船廃止から20年」宇野港の軌跡のシリーズに玉野みなと芸術フェスタの記事が掲載されいました。今回もスマイルネット玉情協の会員である主婦・藤原恵子さんが記事になっています。元気印の藤原さんいつもお世話になります。
PDFファイルはこちらからご覧ください |
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2008年2月24日日曜日
会員の藤原さんがタマゲタバーガを玉野名物に!!
山陽新聞2月23日玉野圏版に、瀬戸内海産のゲタ(シタビラメ)を使って料理したオリジナルハンバーガー「たまげたバーガー」を考案した藤原恵子さんが、宇野の知り合いの喫茶店に23日からランチメニューとして登場することになりましたと報道されました。その記事はこちらのPDFファイルからご覧ください。
ゲタは会の写真で確認できます。
カレイ目ウシノシタ科イヌノシタ属 アカシタビラメ Cynoglossus joyneri ムニエル/スープ(フィメ・ド・ポアソン)/煮つけ/刺身 南日本から南シナ海に棲息。 |
元気印の藤原会員さん、相変わらずの活躍ですね!
2008年2月6日水曜日
やっと完成したしおさいの3Dモデル
完成したしおさいの3Dモデルをグーグルアースに公開しました。
下記のイラストをクリックして「Google3Dギャラリー」へジャンプします。そこでGoogle Earthをクリックして、3Dモデルを確認してみてください。
2008年2月1日金曜日
塩づくりの里「山田地区のポストカード」5枚セット発売!
山田まちづくり講座からの提供で、旧塩田の写真をポストカードにして、観光客に販売することになりました。
1900年代初頭に撮影された「玉野市山田地区」の貴重な写真をポストカードのセットにしました。塩田で繁栄を極めた時代の山田地区が写されています。
このポストカードは(社)玉野市観光協会として販売されます。
1900年代初頭に撮影された「玉野市山田地区」の貴重な写真をポストカードのセットにしました。塩田で繁栄を極めた時代の山田地区が写されています。
このポストカードは(社)玉野市観光協会として販売されます。
山田の街には塩浜稼ぎの人々(親方、上浜子、釜屋番、釜焚き、寄せ子、沼井ふみ等)から、大工、桶屋、鍛冶屋等の職人、土木人夫、叺の製造、値師といわれる石炭商、生活雑貨を扱う商人から輸送関係の船人など活気に満ち溢れていました。1913年に玉野市に初めて建てられた劇場「蛭子座」」は、収容人員1000人という規模を持ち、演劇や活動写真などの興行が行われました。
山田地区で盛んであった塩の精製法「入浜式塩田」は、炎天下の中の作業で過酷をきわめ、浜子(塩田の労働者)はそのような状況下で「浜小唄」という作業歌を残しています。この歌詞の中には、当時の歴史、浜子の過酷な労働、生活状況が歌われています。
入浜式塩田は、1951年頃には「流下式製塩法」に改良され少ない労力で製塩できるようになり、更に1969年には「膜濃縮製塩法」へと移行され、機械にとって代わられ、山田地区は次第に賑わいを失っていきました。東野崎浜塩田は、野崎武左衛門が創業した天保12年(1841年)から160宥余年、製塩技術の改良を積み重ね、現在のナイカイ塩業株式会社として継承されています。
写真をクリックすると拡大します
2008年1月16日水曜日
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