塩づくりの里「山田地区のポストカード」5枚セット発売!
山田まちづくり講座からの提供で、旧塩田の写真をポストカードにして、観光客に販売することになりました。
1900年代初頭に撮影された「玉野市山田地区」の貴重な写真をポストカードのセットにしました。塩田で繁栄を極めた時代の山田地区が写されています。
このポストカードは(社)玉野市観光協会として販売されます。
1900年代初頭に撮影された「玉野市山田地区」の貴重な写真をポストカードのセットにしました。塩田で繁栄を極めた時代の山田地区が写されています。
このポストカードは(社)玉野市観光協会として販売されます。
山田の街には塩浜稼ぎの人々(親方、上浜子、釜屋番、釜焚き、寄せ子、沼井ふみ等)から、大工、桶屋、鍛冶屋等の職人、土木人夫、叺の製造、値師といわれる石炭商、生活雑貨を扱う商人から輸送関係の船人など活気に満ち溢れていました。1913年に玉野市に初めて建てられた劇場「蛭子座」」は、収容人員1000人という規模を持ち、演劇や活動写真などの興行が行われました。
山田地区で盛んであった塩の精製法「入浜式塩田」は、炎天下の中の作業で過酷をきわめ、浜子(塩田の労働者)はそのような状況下で「浜小唄」という作業歌を残しています。この歌詞の中には、当時の歴史、浜子の過酷な労働、生活状況が歌われています。
入浜式塩田は、1951年頃には「流下式製塩法」に改良され少ない労力で製塩できるようになり、更に1969年には「膜濃縮製塩法」へと移行され、機械にとって代わられ、山田地区は次第に賑わいを失っていきました。東野崎浜塩田は、野崎武左衛門が創業した天保12年(1841年)から160宥余年、製塩技術の改良を積み重ね、現在のナイカイ塩業株式会社として継承されています。
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