2008年2月29日金曜日

玉野みなと芸術フェスタが山陽新聞に!

2月29日(金)山陽新聞玉野圏版の「連絡船廃止から20年」宇野港の軌跡のシリーズに玉野みなと芸術フェスタの記事が掲載されいました。今回もスマイルネット玉情協の会員である主婦・藤原恵子さんが記事になっています。元気印の藤原さんいつもお世話になります。

PDFファイルはこちらからご覧ください

2008年2月24日日曜日

会員の藤原さんがタマゲタバーガを玉野名物に!!

山陽新聞2月23日玉野圏版に、瀬戸内海産のゲタ(シタビラメ)を使って料理したオリジナルハンバーガー「たまげたバーガー」を考案した藤原恵子さんが、宇野の知り合いの喫茶店に23日からランチメニューとして登場することになりましたと報道されました。その記事はこちらのPDFファイルからご覧ください。
ゲタは会の写真で確認できます。

カレイ目ウシノシタ科イヌノシタ属
アカシタビラメ
Cynoglossus joyneri
ムニエル/スープ(フィメ・ド・ポアソン)/煮つけ/刺身
 南日本から南シナ海に棲息。

元気印の藤原会員さん、相変わらずの活躍ですね!

2008年2月6日水曜日

やっと完成したしおさいの3Dモデル

完成したしおさいの3Dモデルをグーグルアースに公開しました。
下記のイラストをクリックして「Google3Dギャラリー」へジャンプします。そこでGoogle Earthをクリックして、3Dモデルを確認してみてください。

2008年2月1日金曜日

ポストカードがこんな感じに

玉野市観光協会で女子職員が早速ポストカードをいれるケースを作ってくれました。

塩づくりの里「山田地区のポストカード」5枚セット発売!

 山田まちづくり講座からの提供で、旧塩田の写真をポストカードにして、観光客に販売することになりました。
1900年代初頭に撮影された「玉野市山田地区」の貴重な写真をポストカードのセットにしました。塩田で繁栄を極めた時代の山田地区が写されています。
 このポストカードは(社)玉野市観光協会として販売されます。
玉野市山田地区について
 江戸時代以降、瀬戸内海沿岸は全国的にも晴天日数が多いことから日本の製塩の中心となっていき、玉野市において最も盛んであった地域が山田地区です。山田の塩田は「野崎武左衛門のざきぶざえもん」(児島)の塩田・新田開発の偉業に加え、当作部方制とうさくぶかたせいの採用などにより塩田の繁栄を深めました。
山田の街には塩浜稼ぎの人々(親方、上浜子、釜屋番、釜焚き、寄せ子、沼井ふみ等)から、大工、桶屋、鍛冶屋等の職人、土木人夫、かますの製造、値師ねしといわれる石炭商、生活雑貨を扱う商人から輸送関係の船人など活気に満ち溢れていました。1913年に玉野市に初めて建てられた劇場「蛭子座えびすざ」」は、収容人員1000人という規模を持ち、演劇や活動写真などの興行が行われました。
 山田地区で盛んであった塩の精製法「入浜式塩田いりはましきえんでん」は、炎天下の中の作業で過酷をきわめ、浜子(塩田の労働者)はそのような状況下で「浜小唄」という作業歌を残しています。この歌詞の中には、当時の歴史、浜子の過酷な労働、生活状況が歌われています。
 入浜式塩田は、1951年頃には「流下式製塩法」に改良され少ない労力で製塩できるようになり、更に1969年には「膜濃縮製塩法まくのうしゅくせいえんほう」へと移行され、機械にとって代わられ、山田地区は次第に賑わいを失っていきました。東野崎浜塩田は、野崎武左衛門が創業した天保12年(1841年)から160宥余年、製塩技術の改良を積み重ね、現在のナイカイ塩業株式会社として継承されています。

写真をクリックすると拡大します


8番 味野塩専売局山田収納所全景
児島八十八箇所零場れいばめぐりの第九番札所「無堂院むどういん」より撮影された山田地区の町並みの風景です。下のイラスト味野専売あじのせんばい支局と文書庫が当時の町並みにたたずんでいます。
イラスト・味野専売支局と文書庫(岡部 成行 書)
10番 山田東野崎支店及び付近塩田
当時は、塩田は35に区切られており、35番目の丘「三十五(さんご)の丘」より撮影された塩田の風景です。
11番 山田東野崎全景及び付近(いち
8番と同じくの第九番札所「無堂院」より撮影された山田地区の塩田風景です。
12番 山田東野崎塩田全景及び付近(
8番と同じくの第九番札所「無堂院」より撮影された山田地区の塩田風景です。11番と12番は組み写真となっており、合わせていただくと山田地区の全景がご覧いただけます。

13番 山田塩竃神社しょうろうじんじゃ及び川口真景かわぐちしんけい
はね橋(船の通過時、橋の中央部が一方に開閉する)から写された汐入川の風景です。
11番と12番を連結した写真